プロフィール



本人写真・個人事業


 5才の時に藁を小さく切る農業機械に右手を入れてしまい指を失いましたが、ほぼ何でもできますので、普通に接していただけたら助かります。

 個人事業:UneLabo(ウネラボ)2025.2.1.~再届け
 届出事業の概要(実際も同じです)
「電子工作、電子機器、ロボット、ドローン、バルーン、1次産業用機器、関連する研究・開発・製造・販売。子ども・障害者・一般人向けSTEAM教育、体験会、関連する普及活動。」


【職歴】

・1982.4 ラスコ(株) 約2年 マイコン、ロジックICのハード&ソフトの会社(豊島区大塚)
・1983.8 人事の入力、兼オペレータ用アプリ開発(蒲田、給田、代田、下連雀、等々力、自由が丘、田園調布、新宿、池袋)
・1988.10 スカラ(株) アルバイトで入って、その後社員に 約30年(下落合、渋谷、新宿)
      ビデオマイクロスコープ各種開発(大手化粧品・育毛・歯科メーカーにOEM)
      大手眼底メーカーOEM用デジタルカメラ開発
      大手放送局とWi-Fiビデオトランスミッター開発
      自律神経測定 瞳孔計開発
      3Dカメラ開発、3D HMD開発
      メガネ型HMD開発
      自社ブランドの電子機器製品各種開発
      ハードウェア開発 (IC, SoC, ASIC,MPU 等用の回路設計)
      ファームウェア開発 (SoC, ASIC, MPU等用のソフト開発)
・2019.12 スカラ(株) 退職(会社都合)
・2020.1 ReadyForでクラウドファンディング(電子ポイキット開発100万円)達成
      開発は出来たがコロナ禍に突入、その後の展開は自然消滅
・2021.2 岡山県議会議員 田野孝明 事務所 事務員(勝田郡勝央町)
・2021.2 ヤマト運輸 アルバイト
・2021.2 UneLabo(ウネラボ)
・2022.6 ヒューマンアカデミージュニアSTEAMスクール フランチャイズ加入
      津山山下教室 ロボット教室、こどもプログラミング教室
・2022.11 切り絵アート作家梅田直人氏と共同の会 アイボットを結成
・2023.7 JAEA人形峠環境技術センター 庶務
・2024.6. 退職
・2024.7. いよいよ第3の人生始める


【学歴】

・1974.3  津山市立向陽小学校 卒
・1977.3  津山市立西中学校 1977年
・1980.3  岡山県立津山高等学校 31期 卒
・1982.3  日本工学院専門学校 情報技術科 卒(大田区蒲田)
       秋葉原のロビン電子でAppleII等Kit梱包のアルバイト
       蒲田のアペックス(株)でソフト開発(Z80)のアルバイト


【経歴】

岡山県「スマート農業技術開発プラットフォーム」会員
2024.9.~ みどりの食料システム戦略やSDGsにも、更には月面の食料自給開発(つまり砂漠でも、少資源でも、ほぼ全自動化で、地上で応用できる)にも関係してきていて、ロボット開発はこれらに役に立つと思い、積極的に関わろうと思っています。

核融合科学研究所 一般共同研究 研究員
2024.4.1.~
「『多次元評価関数の応⽤と最適化による マルウェア検知の⾼速化』京都⼤学 学術情報メディアセンター 研究員 ⽥中卓 ⼒⽯浩孝 研究コード NIFS24KIIA012」の研究員。

総務省 委嘱 電波適正利用推進員
2024.4.1.~
「電波」は目に見えない、けど有る。不思議で、便利な貴重な資源。この恩恵を、世界中のみんなが受けられ続けられるように守っていきたい。

津山市都市計画審議会委員 委嘱(完了)
2022.4.1.~2024.3.31. 2年間(委嘱期間)務めました。
「一般廃棄物処理施設の新築に係る敷地の位置について(サーキュラーペット)」「津山広域都市計画下水道の変更について(東一宮下水道)」の2回参加しました。事後承諾の感は否めませんが、もう少し早い段階の都市計画そのものに参加できる方法もありそうで、機会があったら参加したいと思います。

語る会 研究会 メンバー
2023.6.~ 京都、名古屋、東京、岡山、米国カルフォルニア、、、
研究会に週一ZOOMミーティングに参加させてもらっています。

裁判員制度裁判員(完了)
 ある1つの事件の、最初から最後まで参加しました。裁判所の方は親切で、貴重な体験をさせていただきました。

第二級 アマチュア無線技士 JH4SXZ
 電話級の免許は中学1年生頃、二級の免許は高校2年生頃、に取得しました。この頃は真空管ラジオを作ったり、ICで潜水艦ゲームを造ったり、Intel8080が出てすぐにTK-80マイコンボードを買って機械語の勉強から始めました。懐かしい思い出です。
 津山高校2~3年生は物理部でアマチュア無線をしました。東京大田区蒲田の日本工学院専門学校に行ってもアマチュア無線クラブに入りましたが、社会人になってからつい最近までご無沙汰しています。
 津山にUターンしたのを機に、少しずつ無線を始めていますが、アンテナを立てるのがことのほか難しく、老後の楽しみにと思う今日この頃です。


家族写真


長男がお見合い相手を探す時に撮った家族写真

後列左:三男:津山市加茂町で動物のおうちPRAMEE(プレミー)を夫婦で経営。Instagram @pramee2022.10で営業・予約しています。テレビ出演も結構あります。

後列中:二男:暫く津山で自分探ししていましたが、再就職が決まり大阪へ。大型電気系統のスイッチ操作が経験値。

前列左:長女:小3から中3まで徳島の脇町で三味線餅つきメンバー。短大卒業後、イラストレータやフォトショップを使うデザインやInstagramの仕事。

前列中:長男:おかげさまで結婚相手が見つかり、結婚後愛媛県で新居を新築。大手系列会社勤務。今は、早くも1男1女の父。電子工作やDIYも強い。

前列右:妻:看護師、津山市で訪問看護ステーション勤務。きもの、おどり、バレーボール観戦、登山、山歩き、犬世話、韓国語、お料理教室、自然農法の家庭菜園、等々多彩な趣味。

後列右:本人:1961年津山市生まれ。東京、関東、徳島と移動して、57才から津山市にUターン、津山市在住。


メディア出演


倉敷の講師と私:ロボット製作無料体験会 NHK岡山取材

2023.6.17.NHK「もぎたて」で放送していただきました。※画面を録画していますので、画質・音質は低下しています。

会場:津山市押入のPLATPORT

倉敷のロボット教室の友人と私が講師を務めました。


30年務めたスカラ株式会社


Scalar USB Microscope


スカラ株式会社

 この写真は、開発した M-1 Scalar USB Microscope を、Apple の Steve Jobs が WWDC で取り上げてくれた時、会場で Scalar USA の営業員が撮影した貴重な写真。

Scalar DG-3 デジタル顕微鏡

スカラ株式会社
 この写真は、1998 年に世界初の携帯型デジタル顕微鏡 DG-3 を開発し、米国 NASA をはじめ、 多くの産業やメーカーでの品質管理に導入されました。
 グッドデザイン賞 受賞しました。

スカラ時代 特許出願やメディア取材


特許出願やメディア取材

 スカラ株式会社は小さな会社でしたが、社長が研究者で、特許等は結構申請していたので、私も 特許出願・メディア取材 をさせてもらいました。

スカラ時代 DG-3

DG-3
 230万画素、デジカメスタイルのマイクロスコープ。当時は CASIO QV-10 が出たころでした。デジカメ式のマイクロスコープ DG-3 は、スカラの主力製品となり、かなりの間売り上げに貢献したと思います。当時4MBのCFカードから始まり、苦労して512MBまでは改造しましたが、それ以上は無理でした。解像度は200万画素のままでした。今では数桁違いの時代になっていますが、、、

スカラ時代 Topcon TRC-NW100

Topcon TRC-NW100
 ハードは、DG-3xのデジカメ機能にストロボ制御機能とUSB転送機能を追加して超薄型のデジカメにし、ソフトも、全く異なるユーザーインターフェイス(操作)に変え全面作り直しをしました。

スカラ時代 DK-100 電子瞳孔計

DK-100
 瞳を通じて自律神経を診断。被験者の瞳孔をタブレット端末でリアルタイム表示! 瞳孔の面積を実面積で測定します。

スカラ時代 AirMicro A1

AirMicro A1
 VT-100とWi-Fi機能はほぼ同じですが、課題に対して、Wi-Fiチップは米国製802.11bでインドのベンチャーにゼロからUDPスタックを作ってもらい、画像圧縮はCMOSセンサに内蔵されている米国製CMOSセンサーを選び、その間をFPGAでつなぎました。

スカラ時代 VT-100

VT-100
 Linuxを使わない、電源ONですぐ映像伝送、世界共通の電池で駆動、という開発ハードルは高かった。
 Wi-Fiチップは米国製、NTSC入力の画像圧縮チップはPanasonic製の組み合わせで、SDKやASICレジスタを使いこなすのに苦労しました。

スカラ時代 HMD T3-A T4-N


HMD T3-A T4-N

 これの開発はお手伝いでしたが、HMDは会社としてずっと手掛けていました。2D,3D共に。
 目の前に大きな映像を見せることは極めて難しく、両眼 T4-N単眼 T3-A 共にシースルータイプは眼に見える現実映像と比較してしかサイズ感が分からないので、どんなにレンズを苦労しても、大きな映像としては認識されなかった、と思います。※理由は違うかもしれません。

スカラ時代 HMD T4-N

HMD T4-N
 これも開発はお手伝いでしたが、シースルータイプは現場で仕事をする場合の安全確保のため必須条件と考えていました。
 今流行りの没入型とは一線を画し、方針変更はしませんでしたね。今は、世界中が没入型のHMDを使用していますが、現場で動きながら、ハンズフリーで作業するには、やはり、シースルータイプだと思います。


シニアの呟き


 「シニアの呟き」は、長くなりましたので、別ページにまとめました。

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